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ADHD

進化人類学の視点から発達障害(ADHD)について考えてみた話

今回はほとんど知識がない状態で、進化人類学の観点から発達障害について考えてみました。

発達障害当事者の悩み

というのも、発達障害当事者の僕でも、「発達障害の人ってみんなの邪魔になってないかなぁ」とか「自分が生きていていいのかなぁ」って毎日思ってしまいます。

みんなと同じようにできないし、みんなの負担になっていたらどうしようといつも不安です。

そしてそれが自分では把握しきれないというところが、何よりも申し訳ないポイントだと当事者の僕は思います。

もちろん、僕の考え方が暗いだけで、発達障害を持っていても明るく幸せに生きている方もいらっしゃると思いますし、当事者の方にはそう思って生きていただきたいと願っています。

ただ、実際問題、僕のように罪悪感を感じながら生きている方も少なくはないと感じています。

なので気休め程度になりますが、今回は進化人類学の観点から素人が全く根拠なく、少しでも楽になってもらうための考えを記事にしてまとめました。

なぜ僕たちが現代まで生存しているのか考えてみよう

まず僕のように「発達障害の人って社会の邪魔になってるんじゃないかなぁ」という疑問に対してですが、本当に邪魔であれば現在まで子孫である僕たちが生き残っていないのではないかと思うんですよね。

というのも、人類の歴史においては「集団で生活すること」が当たり前でした。

集団で狩りをし、集団で生活する。

そして発達障害には遺伝的な要素がありますよね。

ということは、発達障害は古代から存在していた可能性があります。

しかし、発達障害の人たちは現在でも生き残っています。

これは、その集団生活の中で、発達障害を持つ人々も何らかの形で存在意義があったのではないかと考えることができます。

多様性こそ適用力である

ここで、進化人類学的な視点から補足すると、そもそも全ての遺伝子から引き継がれた要素が集団のために役にたつわけではないのです。

根拠はないですが、例えば身体の特徴なんかも、時代によって美男美女が別れたりしますが、集団生活という観点からみると生存に必須なわけではないです。

ですが、様々な役に立つことも立たないことも、集まればそれは適応力になります。

それが人類の最大の強みです。

それが例えピーキーな能力だったとしても、集団の中にいれば独自の視点から集団の役に立ちます。

当たり前ですが一人一人の能力や特徴が100%役に立つわけではもちろんないです。そしてこれも当たり前ですが、全く役に立たない人間もいません。

また集団生活は多様性がないと維持しにくいものです。

全員が全く同じ能力のスポーツチームより、全員がそれぞれに得意な能力を持つチームの方が強いですよね。

それと同じで、発達障害を持つ人々も、独特の観点や視点を持ち、そのおかげで集団の中で個性を発揮できたのではないかと考えます。

実際にADHDで働いてみた話

実際、僕が障害者雇用枠で働いて感じるのは、僕はADHDがあるのですが、アイデアや知識の量、観点が他の人と少し異なっていると評価をいただいています。

以前、部長に「君はたくさん本を読むし、アイデアも豊富だね」と褒められた経験があります。

自分の役割も、ADHDの特性で一般的な仕事はあまり得意ではないのですが、VBAコードやAIを活用した仕事術の提案で貢献できています。

これは自分の所属部署では、他の方があまり持っていない能力だと感じており、部署に1人ぐらいこういう人がいると部署全体がアップデートされるように感じています。

自己正当化しているだけかもしれませんが、そう思っていたほうが仕事が楽です。

まとめ

ということで、全く素人の、根拠の乏しい文章なのですが、結論として「発達障害を持っていても生きていていいんだよ」ということを伝えたかったのです。

一見役に立たない、なんで自分だけこんな脳みそなのだろうと何度も思いましたが、みんなと違うところから成果が出せるのだと考えると、そして歴史の中で多様な人々が生き延びてきたのだと考えると、生きていてもいいのかなと思います。

この記事は何度も言うように根拠が薄いので、正確ではないかもしれません。

しかし、この考えで少しでも笑ってくれたり、気持ちが楽になったり「生きてていいんだ」と思ってもらえたら嬉しいです。書いてよかったって思えます。

SNSなどを見ていると、どうしても世間からの風当たりの強さや、理解のなさを感じます。

普通の人と線引きをされているような、間違い探しの間違いのような、そんな感じがします。

しかし誰にもそんなことを言われる筋合いはありません。

僕たちはこれまで必死に、どれだけマイノリティーであろうと今日まで生き抜いてきたからです。

その努力は誰にも評価されるようなことでないかもしれませんが、自分だけは知っていて、自分だけは忘れないように大事に持って、一緒にこの世界を生きてほしいです。

うまく書けたと全然思えないのですが、言いたいことは、みんなと違っても役に立ってきたし集団には必要だよ。むしろみんなと違うことに価値があるよってことです。

双極性障害とADHDをもつ一児の父
ねこねこもち
気づいたら双極性障害とADHDを抱えてしまっていましたが、人生をより良いものにするために勉強中。